【自分にも家族が子供が出来て】
自分にも守るべき妻や子供たちが出来た時に、父親という人間の事を今一度考える事が多くなってきました。
考えれば考える程、過去に思っていた気持ちとは変わってきました。
勿論、反面教師の部分はありますが、感謝と偉大さが増幅しています。
【仕事に対する信念】
母親は狙ってはいなかったでしょうが、「お父さん○週間休んでないわぁ・・・」と言っていたのをよく聞いていました。前述の通り、フリーランス的な働き方でしたので会社に言われたからというより、自分でやりたいからやる、といった感じです。
家に帰ってからも、テレビ、新聞、本、図面(金属や機械系でしたので)で勉強でしたし。
タフだなと思います。
自分が物心ついた時には、父親の役職や給料は知っていましたが、今考えると、金利6%時代の住宅ローンを20年で返済したのはすごいなと。(時代もありますが、完全に生活費は父親、子育ては母親といった感じでした。仕事をしている光景は見ませんので、当時はどうしても母親びいきになっていました・・・。)
そんな父親も、退職後もしばらく呼ばれて仕事をしていましたが、ずっと走りっぱなしだった日本の高度経済成長期を走り抜けた企業戦士が「もうやり切ったと言える!!辞める!!」と言った時にはカッコ良かったですね。
【子育て論】
我が家の子育ては本当に役割分担だったなと思います。父親とキャッチボールをした記憶もありません。
しかし、小学生の時の習い事は、したいと言ったものはすべてさせてもらえました。スイミング、和太鼓、習字硬筆、テニス、ギターも手にしました。
髪を染めても、パーマをあてても何も言われず。ド派手な服を着ようが、ハイブランドを着ようが、ぼろぼろのデニムを腰で履こうが何も言われず。
自分が「美容師になる。美容学校に行く。」と言った時も、「じゃあ、行け。学費は出してやる。」とだけ。
社会人になってある時、父親が言いました。「兄に出した学費等と同じ分だけお前にも準備している。兄弟平等だ。開業なりに使え。」と。
これは結構最近聞いた事ですが、父親の子育て論としては「やりたい事は何でもさせてあげる(その費用は親が出してあげる)、他に興味が出たら辞めたくなったら辞めて良い(経験体験してみないとわからないから)」だったみたいです。まさしくその結果が中学生の時にしたい事が見つかった自分なのです。
感謝しかありません。
【不器用な優しさ世代】
トップの写真も、お店の神棚に榊を挿しているのですが、毎月父親が畑からとって来ては切り口を斜めにしてくれて渡してくれるという。持って来てくれるのは母親ですが。
今でも口数が多い訳ではありませんが、随所に見える不器用な優しさが父親という人間らしさだなと感慨深いものがあります。
随分背中が小さくなりましたが、まだまだ教えてほしい事が山のようにあります。健康に気を付けて長生きしてほしいですね。
自分も子供に良い背中を見せられるように生きよう。
Wishing hygge🌞
Hygge Beauty&Spa
赤木駿
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